ウィトゲンシュタインの愛人

mistressなる単語は月は無慈悲な夜の女王The Moon Is a Harsh Mistressを連想させるSFとしてはハインラインよりJ・G・バラードの思弁的な小説に似ているあるいはクラークよりもヴァリス暗闇のスキャナーで有名なプリーストだったろうか実を言うと記憶が不確かところで女教師ミストレスと交際していた話はしただろうかむち打て親愛なる女主人様ミストレスほかのだれかなら腕をへし折っていただろう狂人の支離滅裂な思考に見せながら奇妙に辻褄が合っていたり思いがけないところで相互に結びついたり伏線が回収されたりするところはセバスチャン・ナイトの真実の生涯を思わせるしかしながらさほど感心しなかったその名作にあってさえもナボコフはもっと笑えるしもっと感性が病的に鋭いやりたいことは言葉の遊びでありながらその遊びを金に換えるための物語もちゃんとおもしろく書くのがチェス愛好家にして蝶の研究家でもある亡命作家のやり口だその物語のおもしろさにしてもいかにもあからさまに口実然としてどこからか安易にひっぱってきたことを隠そうともしないのだけれどそういうふてぶてしさ不敵なニヤニヤ笑いのしたたかさに強い力を感じさせられるそこに人間性への共感はないけれど人間を解しない逸脱した感性ゆえの人間性が感じられるしなんならありがちな犯罪小説やポルノを装いつつもペドフィリアにだめにされた人生の惨めさまでちゃんと書かれているほのめかしていたものを読者の鼻先でとりあげる意地悪さや語/騙ることへの不信こそが魔術なのだと思わせる力がナボコフの小説にはある他方で実をいうと本書にそこまでの魅力は感じなかった何かが起きた世界について書いておきながら詳細は記さない技巧にしてもナボコフのような悪意に満ちた笑いではなく笑える箇所もいくつかあるがそれほどの切れはない)、 単なる物語の不足のように感じさせられるし不貞と夫婦の諍いが招いた子どもの死についても同様に言葉を惜しみながらにもかかわらずそれでもなお量感を伴って描き出す方法もあったはずだそれをいえば狂人の語りがどこまで信じられるか怪しく物語の前提であるはずのだれもいない未来世界だって妄想にすぎないのかもしれずかといってナボコフやディックのような足場の不確かさに不安にさせられるようなところもなく垂れ流される妄想の奥に現実がかいま見える彼らのすごさを逆に思い知らされたところで両親の話はしただろうか彼らのために人生をだめにしたのだがそのことがいよいよ明確になった若いころわたしは彼らのような精神異常にかなり近い場所にいたつまり頭がおかしかったその時期のわたしの文章がちょうどこのようなものだったただしもちろん本書のは緻密に意図され計算された技巧であってわたしは単純に頭がおかしかっただけだ荒俣宏に文章がまわりくどいと貶されて以来十数年をだれにも読まれるあてのない小説からしかしながら」 「実を言うと」 「それはつまり」 「やはり」 「それでもなお」 「だから」 「実際には」 「他方で」 「一方」 「とはいえ」 「ところで」 「あるいは」 「ただし」 「そして」 「にもかかわらず」 「いずれにせよ」 「ひょっとすると」 「ちなみに」 「実際に言おうとしていたのは」 「誓って言うが⋯⋯などなどをひたすら削ることで錯綜した論理の筋道を正す作業に費やし気がついたら四十歳になっていたあるいは五十歳かもしれないそれとも三十歳だったろうかあるいはわたしはいまでも気が狂っているのかもしれないウィリアム・ギャディスが幾度となくネタにされているのは単に笑えると思っただけなのかそれとも著者が実際に友人だったりしたのだろうかそれをいうならわたしの人生に一瞬とはいえ荒俣宏が登場するのは事実なのだろうか彼はほんとうにPの刺激を読んだのか似ても似つかぬドッペルゲンガーや窓をひっかく猫と同様の幻かもしれない誓っていうが当時わたしは気が狂っていたのだちなみにギャディスJ Rは過剰な言葉遊びの小説でありながらも物語に夢中になりどちらの方向からも両立しておもしろかったとはいえ読んだと思っているのも記憶違いなのかもしれないあるいは本書においてもまた