労働組合にもらったカレンダーに 「だれもが自分らしく輝ける社会を!」 と書かれていた。 おれは書いて出版する異常者でありそれが現実の 「自分」 だ。 でもそれは遺伝と虐待で一生治らない障害を負わされた結果でしかない。 本来の 「自分」 はまともな人間だったと思いたい。 いわばその幻想にすがりついて生きている。 あるいは逆に病気こそが本体でおれは影なのかもしれない。 異常者である両親は支離滅裂な悪意こそが本体だった。 人間らしさの装いは雑そのもので、 さしてもっともらしくなかった。 むしろあからさまな狂気と暴力そのものが二次加害者らを惹きつけ支持された。 かれらが 「自分らしく輝」 いたらだれかが不幸になる。 かれらはまかり通りおれは異常者として罰される。 標語にケチをつけるつもりはない。 いい理想だと思う。 おれも信じたかった。 残念ながらおれの人生には当てはまらない。
おれの書いたものはやはり商業出版には向かないのだと思う。 かといってソーシャルメディアにも適合しないから趣味の同好会みたいなところでも認められない。 いまの読者は独創性や意外性、 それに何より感情を揺すぶられることをきらう。 ほとんど憎んでいるといっていい。 AIはそのニーズにがっちり適合する。 学習をもとにもっともらしく欺く仕組みであって生身の痛みを知らず、 新たなものは決して生み出さない。 文句ひとつ出ず思いのままに何度でもリテイクできて金もかからず権利問題も生じない。 機械のやったことだからと不都合の責任も負わずに済む。 このまま進めば商業出版のとりわけ編集者の仕事はプロンプト代行業になるだろう。 何もおかしな話ではない。 客が人間性の排除を望めば応じるまでだ、 営利事業なのだから。 行き着いた先で排除されるのは読者自身だ。 それは売る側の知ったことではない。
読者の眼前に華々しく見せたり市場から消失させたりを自在に操れる本を、 某テック企業は 「焚く」 と名づけた。 大衆の考えを操って利益を得るのが広告業で、 ソーシャルメディアやAIはそれを極限まで効率化した。 テック企業の本質は大衆を思うがままに操る商売で、 支配されるほどに大衆は熱狂する。 気候変動もまたその産物である事実にだれもが目を瞑り、 戦争やデータセンタは他人が犠牲になって自分の視界に入りさえせねばよいと心得る。 だれに投票すればいいかわからない? チャッピーに訊いてみよう! 世界の原油権益を独占したい諜報機関上がりの老人に弱みを握られたリアリティショー司会者上がりの老人にだれのおかげでムショ行きを免れてると思ってるんだと恫喝される老人⋯⋯そして子どもたちを瓦礫で潰して絞り出した血のおこぼれにあずかるべく、 愛想笑いで揉み手するどこかの国と、 大衆を操る悦楽に感染し応援動画で世論誘導する在野工作員たち。 アルゴリズムは利益をもたらすその声を増幅し、 抗う声を非表示あるいは貶められるべく誘導する。 だれかがだれかの利益のためにわれわれの見る世界を決めている。 生身の言葉は密かに流通するかもしれないし、 ある種の連中が望むようにただ嘲笑され石を投げられ、 摘発され拷問されて 「淘汰」 されるのかもしれない。 火を放たれた読書に残るのは焼け野原だ。
皮肉でも批判でもない。 客の求めるものを売るのが商売で、 ただおれには適応できないというだけの話だ。 書いているあいだは自分を騙すため、 完成すれば人生が変わるかのような幻想を抱く。 終わってみればもとの知的障害の老人だ。 だれにも愛されたことのない異常者はだれにも愛されない。 愛され方を知らないからだ。 憎まれ疎まれ蔑まれる生き方しか知らない。 いい換えれば 「ニーズ」 がない。 遺伝と虐待に脳に障害を負った人間は何をやらせても満足にできない。 何をやらせても満足にできない無能は 「ニーズがない」 から 「笑い物にされ淘汰される」 (もしおれ以外のだれかがこれを読んでいたら——あなたには価値があってよかったね)。
調べたところ去年は7/5発売の雑誌に最終候補作が発表されていた。 年によって変動はあるにせよ候補者にはまもなく連絡が届く。 あるいはもう報されているかもしれない。 あの手の連絡は公表されるよりずっと早いものだ。 『Pの刺激』 のときがそうだった。 二週間以内に連絡がなければ門前払いされたと判断していいだろう。 準備を進めておいて解放され次第さっさと出版して忘れちまおう。 プロットが史実からの借り物だからか 『Cloud9』 はいまひとつ書いた実感がない。 いまだに 『ぼっちの帝国』 が最高傑作だと思えるし、 失敗作ではあっても 『GONZO』 には愛着がある。 やはり物理的な本にしてAmazonや楽天に並べ、 国会図書館に納本して客観的に存在させるのは、 おれにとってそれなりに意味があるのかもしれない。
そろそろ装画を用意したい。 iPad Proは引越資金に窮して売り払っちまった。 ケント紙とロットリングが必要だ。 生活圏には文具屋も画材屋もない。 かつては最寄り駅前に文具店がふたつあった。 売場のあったヨーカドーは潰れて廃墟と化し、 もうひとつの商業施設に入っていた専門店も撤退して百均とカプセルトイ売場になった。 市中心部にあった画材屋はどれも潰れるか郊外へ移転した。 いまじゃコンビニや薬局で扱わぬ文房具を手に入れるには車を走らせねばならない。 県からの独立話も出ている政令指定都市ですらそのざまだ。
おそらく今後数十年のうちにこの国はいくつかの大都市でしか暮らせなくなる。 それ以外は原生林となり、 熊に顔を剥がれて土饅頭にされるのを覚悟でインフラの保守管理をする特攻隊のような業者しかいなくなる。 それでも先祖代々の土地に暮らしたい老人たちは、 かれらのために残らざるを得ない医療や介護の従事者、 およびインフラ保守業者とともに熊に惨殺され土砂崩れに遭い山火事に巻かれ津波に流される。 そうしたすべてを世間は 「ニーズがないから笑い物にされ淘汰される」 と称するのだろう。 おれだって脳に障害がなく免許と車があればこんな街からは出て行きたい。 健常者に生まれて嗤う側に立ちたかった。 気晴らしに女子小学校や保育園や病院を爆撃する老人になりたいとまでは、 さすがに思わないが。
