この文章はモニタ位置の調整のために書いている。 長篇小説を書く、 というただそれだけの目的に求められる水準は存外に高い。 わずか数度の傾き、 数ミリの距離や高さの差で筋肉を痛める。 前作に使ったモバイルモニタ台は自在に調節できた反面、 ぐにゃぐにゃと定まらず打鍵のたびに頼りなく揺れた。 おまけに醜い。 耐えきれず百均の金網とフック、 強粘着ゲルでDIYした結果がこれだ。 金網の立て方や机を壁からどれだけ離すか、 フックの位置なんかの組み合わせをあれこれ試して均衡を探っている。 腰痛が軽減されれば肩こりが悪化する。 こんな阿呆らしいことに疲弊せずとも大きな5Kモニタでも買えばいいとわかっている。 しかし机は小さく金もない。 何より金網DIYの見た目と16inchのモバイルモニタを気に入っている。 ピクセル単位でCSSや画像を弄るときと似た感覚。 外界とのmarginをどれだけ確保しても内面のpaddingは埋められない。
前作を書き終えてから満足に眠れない。 半日を睡眠に当ててもFitbitに検出される眠りは五時間がいいところ。 平日は三時間前後だ。 初めのひと月はその割には元気だった。 いまはつねに朦朧として怠い。 腰痛と肩こりも抜けない。 落選が確定するまで動けぬのでこのありさま。 出版して国会図書館に納本するまで、 一年九ヶ月の仕事はだれもいない森で倒れた樹の音のようなものだ。 シュレーディンガーの猫にとどめを刺すべくepubを親切な三人に配った。 証人になってくれたのはただひとり。 あとは音沙汰なしがひとり、 小学生の国語力以下と苦情をいってきたのがひとり。 理屈の上では下読みの目にも触れているはずなのだが、 そこでも冒頭で挫折され 「さよなら箱」 へ放り込まれたことだろう。
現代の読者はテック企業のアルゴリズムに評価されたくて本を買い、 キャプションの文言を工夫してカフェで書影をアップする。 アルゴリズムは自社利益の観点から採点し表示優先度やクリック/タップ誘導を調整する。 出版社はそのニーズに応じて商品開発して売る。 いみじくも元ジャーナリストに嘲笑されたように、 すでに評価された実績のあるものの再生産でなければ非表示にされる。 アルゴリズムに最適化された 「それらしいもの」 をすでにある情報をもとに捏造するなら、 人力の介在は精度と効率を落とす夾雑物にしかならないし、 自然言語で書かれる必要すらない。 ルーブ・ゴールドバーグ・マシンめいた迂遠な作業をせずとも、 専用の独自言語でAI同士に高速通信させりゃいい。 AI増田をAIがブクマする地獄が日常となってすでに久しい。 理解に苦しむが出版と読書に望まれるのがそのようなものならしょうがない。 そんな世界では生きられない。 だからだれにも知られずひとりでやる。
半世紀も生きた。 まもなくさらに歳をとる。 今年も連休をとったが書くためではない。 まだ準備が足りない。 着手は九月からだ。 おれをこんな化け物にしたものについて書き残しておかねば安心して死ねない。 敗戦の年に生まれた両親はおれを悪者にしたまま近々死ぬし、 おれひとりの加害者が地上から消えたところで奪われたものは戻らない。 世間の 「ニーズ」 はいまも、 あてつけに自殺して子どもの人生を支配した男に同情したり、 成人男性に投げ飛ばされた少女を寄ってたかって批難したりして、 加害と被害をあべこべに仕立て上げる。 いいからいまは黙って殴られておきなさい、 と何か考えでもあるかのようにおれに命じた母親が護ったのは自分の生活でしかなかった。 歪んだ認知を甘やかす世界があって、 その力はいまも世界中の子どもたちの頭上に爆弾を落としつづける。 テック企業や政治家にとって、 ばらばらにされ瓦礫の下敷きにされる子どもたちに 「ニーズ」 はない。 「笑い物にされ淘汰される」 側におれは立つ。 そのために書いて出版する。
知らないことが多すぎる。 発達と知能に障害のあるおれにうまくやれるとも思えない。 でもほかにどうしたらいいかわからない。 そういう病気なのだ。 だから笑い物にされ淘汰される。 あと何年残されているかなんて知りようもない。 干支がひとまわりするくらいはいけるだろう。 根拠はない。 脳の欠陥に起因する強迫観念でしかない。 実際には母方の祖父のように90過ぎまで生きるかもしれないし来年死ぬかもしれない。 どうでもいい。 重要なのはいま何をするかだ。 すべての瞬間を悔いなく生きたい。 そのためにやることはたくさんある。 いずれ部屋に商品の保管場所を確保して通販を再開したい。 むろん客などいない。 実際に売れるかどうかではない。 機能を有すること、 そのために努力した事実こそが必要なのだ。
だれにも愛されたことがない。 半世紀も憎まれ嘲笑されただけだ。 淘汰されたおれにも友人がいた。 化け物たるおれの人間性に頓着せぬところにずっと救われてきた。 いまもその人柄を好ましく思っている。 でも人生に余裕がない。 残りは自分のことだけ考えたい。 関心を持ってくれるひととだけ付き合いたい。 むろんそんな都合のいい他人はいない。 権力のニーズを翼賛しおれのニーズを嗤って排除する輩しか世間にはいない。 それで構わない。 だれとも関わらなければいい。 歪んだ認知を飼い慣らして自己完結できるようにならねば。 自分ひとりで成り立つ幸福を見いだすのだ。 死後に見いだされぬヘンリー・ダーガーを目指そう。 幸福の条件に他人を介在させてはならない。 他人は努力でどうにもならない。 変えられるのは自分だけだ。 他人を意のままに操ろうとすれば両親のようになる。 あのように邪悪ではない、 少なくともそう信じたい。
浅ましく新人賞に応募したのは弁解を防ぐためだ。 生涯の最高傑作 『ぼっちの帝国』 は人格OverDriveに不定期連載し、 完結後すぐさま
筋トレを終えて走ってきた。 書いて出版したところで読まれぬのと同様に、 しょせん欠陥遺伝子と虐待の過去からは逃れられない。 だからといって運動はやめない。 重要なのは他人にどう思われるかではない。 マシになりたい。 叶わずともせめて努力をしていたい。 両親のような怠惰な自己愛者にだけはなりたくない。 あのような邪悪な異常者ではないと自分に証明したい。 やめたら最後、 同類になる。 いや社会的にはどうがんばっても有害な異常者でしかないのだが、 自分にとっては大きな差がある。 自分を虫ケラだと思って這い上がろうとする奴は云々⋯⋯ってやつだ。 テック企業や政治家のアルゴリズムに評価されるための読書と営利出版 (中央集権)、 及びそこから距離を置いて内面を見つめるための読書とサミズダート (分散) について書くつもりだったが時間も体力も切れた。 また今度。
