アル中の犬に再会したくて30年ぶりに読みかえした。 物語の折り返し地点 (実際には本のまん中よりやや手前) にさしかかるまではすごくいい、 一章につきひとりずつ丁寧に描写していて、 登場人物がちゃんと人間に思える。 それが推理小説にしようと中途半端な商売っ気を出しはじめてから急に文章も構成も筋立ても何もかも雑になり、 人物とりわけ女たちが紙人形と化して、 映画化権でも皮算用したのであろう派手なアクションで支離滅裂になり、 しまいには何がいいたいのかさっぱりわけがわからなくなる。 哀愁漂うアル中の話かと思わせておきながら色情狂の高齢男性の幼稚な妄想だった。 戦争の逸話もまったく機能してない。 戦争で人格形成した人間がどうなるかを書いていまなお現在の物語として読める 『深夜プラス1』 とは大違いだ。 変態爺の屑っぷりを強調するのはおおいに結構だが、 それと直後のアクションのためだけに登場させた都合のいい人物の薄っぺらさが、 それまで書けていたすべてを巻き添えにし、 わざわざ読者に吐き気を催させたその意図までをも白々しいものにする。 『高い窓』 みたいに気色の悪い家族を書くつもりかと思えば、 中途半端にほのめかしただけの乱暴なオチをつける。 これは読者への甘えだ。 おかげで物語が完全に意味をなさなくなった。 要するに、 可視化され得ないものを見極めて言い当てるだけの才能も技術も人間性もなかったのだ。 これは作家として致命的だ。 最低限の資質がないということなのだから。 『長いお別れ』 を当てこする低俗で幼稚なギャグをこれでもかと繰り出す一方、 文学性やらアクションやらにも中途半端に欲を掻くものだから、 コミックノヴェルにすらなりきれていない。 こんにち完全に忘れ去られたのもむべなるかな。 物語が忘れ去られてもアル中の犬だけはだれもが憶えているのは唯一ちゃんと書かれて魅力的だったからだ。 その犬にしても最後ああなるし⋯⋯。 まぁ公平に割引くならば時代の差でしかない部分も大きいとは思う、 おれにしたって当時はこれが下手だとわからなかった。 30年前の男は全員こんな世界観に生きていたのだ。 だれもが統合失調症で性依存のDV野郎だった。 これならおれの若書きのゴミ 『崖マロ』 や糞以下の 『血と言葉』、 無残な失敗作 『GONZO』 のほうがまだマシだ。 小説の書き方を学ぼうとしていた修業時代、 こんなふうに書きたいと感動したはずの一冊で、 『オールタイム・ベスト50』 に加えるために再読したのだが、 まさかこんなにひどかったとは。 逆にいえばおれはこの30年間でそれだけマシになったのだ、 そう信じたい。