人種差別関係なくね? 要するに小児性愛のサイコパスが十代の姉妹を強姦し殺害する話。 とってつけたように差別への復讐を口実にする身勝手がいかにもサイコパス。 『うたかたの日々』 でも感じたのだけれどボリス・ヴィアンは定型発達者ではなかったのかもしれない。 郵便配達夫はあれでちゃんと恋愛小説で、 暴力的な恋愛で自滅する男女の話がよく書けていた。 『ミス・ブランディッシの蘭』 は古本を若い頃に積ん読にしていて、 読まずに棄てたのかつまらなくて忘れたのか記憶にない。 この本はそれらに影響を受けながらも暗黒小説というほどの娯楽性はない。 娯楽として成立させるだけの客観性が欠けている。 当時のフランス社会ではアウトサイダー・アートとしてではなく娯楽小説として読まれたらしい。 それもじつによく売れたそうだ。 妻や娘を持つ白人男たちが性的な気晴らしとして暴力描写を愉しんだのだ。 第二次大戦で人命の価値が極端に低下したせいかもしれない。 フランスでも日本でも戦争は人権を便所の紙以下にした。 虫のいい屁理屈で子どもを残虐になぶり殺す黒人を書いて偏見を強化しておきながら、 それを差別への抗議だとうそぶく白人も、 人権意識が多少はましになったはずの現代において、 強者の暴力をあたかも理屈の通ったことであるかのように宣伝する日本の帯文もやりたい放題だなと思う。 ボリス・ヴィアンに影響を受けたセルジュ・ゲンスブールの映画でもDVがあたりまえの恋愛であるかのように描かれ、 お洒落だとみなされた事実を思い出す。 売春婦の殺害現場にこの本があったからという理由で、 十万部の発行部数に対し十万フランの罰金が処せられたということだけれど、 なぜ著者が支払わされたか理解できない。 人類に一定の割合でサイコパスが発生するのも、 人権を蹂躙する文章を書くやつがいるのも仕方がない。 まともな人間が無知や誤解やなんらかの事情でひどいことを書いてしまうこともあるだろう。 罪と責任はあたかもいいものであるかのように刷って広めた企業にある。 もちろん半世紀も批評に晒されて残ったものであるからいまこの本を出版することに当時のような暴力性はない。 むしろおもしろい解説を読ませてくれた出版社には感謝したい。 解説のためだけにでも買う価値はある。 装幀も美しい。 本文はそれらを愉しむための口実にすぎない。
