二ヶ月近くかけてようやく読み終えた。 というか文字を最後まで追った。 まるで長大な大河小説をむりやり映画の脚本に落とし込もうとして、 かいつまみすぎたみたいな印象を受けた。 ひとつひとつの場面は鮮明なのに相互のつながり、 脈絡がさっぱりわからない。 上巻はまだしも話の筋をかろうじて追えたけれど、 下巻に入ると何が起きているのかさえわからなくなった。 おれは生まれつき軽度の知的障害があるのに加えて、 最近とりわけブレインフォグというのか、 つねに頭にかすみがかかったようで、 認知症になりかけている疑いさえあり、 たとえばある人物についての新聞記事で、 前半で紹介された家族が後半で再登場すると 「えっだれ」 となる。 その状態で読むには厳しい小説だった。 のちの作品では登場人物の個性が、 あたかも目の前で汗をかき呼吸をしているかのように活き活きと描写され、 展開しているのがだれのどんな逸話か、 物語のどんな役割をその場面がはたしているのか、 見失うことはさほどないのだけれど、 この小説ではどちらかといえば登場人物よりも、 物語を構築するバラバラの部品と、 それらを複雑精緻に組み合わせた巨大な建造物そのものが主役みたいに感じられて、 おれみたいに頭が悪く学もなく、 単純にエンタメを求めて (より正確にいえばわが人生最大の目的たる、 おもしろいエンタメ小説を書くための参考として) 小説を読む身としてはただ単に、 『ヴァインランド』 や 『メイスン&ディクスン』 に較べて、 まだ語りの技術がこなれてないだけに感じられた。 それが不満かといえば別にそうでもない。 予想以上だったので面喰らいはしたけれど、 そういうものだと聞いてはいたし、 『競売ナンバー49の叫び』 はふつうにエンタメだったんで、 これは意図的に圧縮したのだとおれにもわかる。 のちの作品とおなじように、 フヒッとかヘヘッとかイヒヒとか笑わせられるし、 筋がわからないにもかかわらず先が気になる感じもある。 実際その入り組んだ構成や語り口そのものが魅力ではあって、 だからこそ世界中の大勢の読者を熱中させ、 何十年も研究されているのだろう。 実際おれがこの時代に、 この作家の知能と才能と技術をもって、 まさにこの大事業に取り組むはめに陥ったとしても、 初稿では 「ふつうに読める」 複数の大河小説と格闘しながらも、 最終的には切り刻んで貼り合わせ、 これ以上どうにもならないくらいまで削りに削って、 最終的にはこのように仕上げたと思う。 だからしょうがないな。 これはこういう物語なんだ。 二十代前半で国書刊行会版を借りたときは、 上下巻を二週間で読み切ろうとして、 数ページで挫折したのだけれど、 今回はその経験をふまえて、 まずは上巻だけを借りて期限ぎりぎりで延長し、 つぎに下巻を借りてまた延長、 どうにか期限内に返却できそうだ (まだ返していない)。 親切な注釈を道案内にして、 おかげで部分、 部分は大いに楽しめたけれど、 全体像はあらすじさえもつかめなかったのだから、 やはりこのまま二巡目に突入すべきなのだと思う。 思うけれど、 しかしもう借りて読む気にはなれないよ。 というのはね、 おい、 おれの前に借りたやつ、 公共の財産を鼻×そほじりながら読むなよ。 あまつさえそれを押し花のごとくにちょうど頁をおさえる手の位置になすりつけるんじゃねえよ。 たしかにこの小説っぽいギャグだけどさぁ!
