紛争に翻弄される生活を空想とない交ぜにするうちに、 空想の国へと消えてしまう青年の話。 時節柄、 関心をもって読んだ。 頭のおかしい人物の主観がジャンル小説の定石によって語られるさまは 『絶望』 にも通じる。 ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの音楽がそうであるように、 通俗的なジャンル小説をばらばらに分解し、 寄せ集めてまったく別物として再構築するのがこの作家で、 ロシア語時代はそのやり方がまだ洗練されておらず、 主題を実現する手段として統一された感じがなく、 ちぐはぐな印象を受ける。 その一方で 「それからどうなるの?」 という物語の求心力に対しては素直で、 人物描写も鮮やかで活き活きしており、 面喰らうほど普通におもしろく読める。 彼の小説が心底気色悪いのは、 蝶だのチェスだの言葉だの、 光学現象だのには病的な執着や感性を示すくせに、 性欲の解消を最終目的とする恋愛においてだけは、 定型発達者めいた社会性を発揮するところで、 本書もまた、 そうした 「普通」 に身を置くかのように装われており、 あるいは本気でそう錯覚し信じ込んでいるのではないかと不安にさせられもする。 おなじみの同性愛嫌悪に対しては、 あんたの異性愛も大概キモいよといってやりたくなるほどだ。 肩書きだけでわかった風に片づける死亡記事に 「些細なディテールの積み重ねこそが人間性を語るのに」 と主人公が不平を述べるくだりには、 まさに些細なディテールの積み重ねで鮮やかに浮かび上がる人物描写とあいまって、 あたかも本当に人間性を理解する 「普通」 の作家の小説であるかのようにさえ思わされる。 興味ぶかいのは謀略ものの定石を使いながらもその扱いは投げやりなまでに粗雑で、 政治からは明確に距離をおいていること。 それが意図されたものであることは作中人物によってもあからさまに言及され強調されている。 自身の経歴をもって政治的に語ろうとすればいくらでもできるところを、 あえてそうしないのが作家の姿勢なのだろう。 むしろ意地でも政治にしてやるものか、 空想的な物語のおもしろさだけを追求するのだ、 といった執念が窺える。 図書館でいっしょに借りたブルガーコフ 『白衛軍』 はどうにも入り込めず序盤で挫折したのとは逆に、 こちらは一日であっさり読み終えたのはそうした書き方のせいかもしれない。 通俗的謀略小説の作家イアン・フレミングに影響を与えた 『どこに転がっていくの、 林檎ちゃん』 と読み比べるとナボコフの作家性がよくわかるような気がした。
