悪い意味で驚きに満ちた本。 わが若かりし頃、 モズリイは憧れの作家だった。 人格OverDriveの英語名であるイージードッグ・プレスはイージー・ローリンズからの発想である。 98年の 『イエロードッグ・ブルース』 でシリーズの翻訳は打ち切られ、 以後は同時多発テロに絡んだエッセイが一冊、 翻訳刊行されたきりだった。 フォローしているFacebookページで続編の話題を見るたびに、 英語の読めない (母語である日本語さえおぼつかない) おれは哀しい思いをしてきた。 エドガー効果で今度こそ邦訳が出るだろうと期待した。 現物が端末に配信されるのが待ちきれなかった。 読みはじめるなり 「こんなんだっけ?」 と当惑した。 つまらないのである。 理由のひとつは探偵小説としての道具立てだ。 サイコパスの友人だとか、 登場するなり過去に主人公を陥れたと窺い知れる警官時代の親友だとか、 いちいち凡庸なのだ。 いかにもそれらしい意匠を寄せ集めたように感じる。 読みすすめるにつれて違和感がつのる。 モズリイに限らず探偵小説そのものを長いこと読んでいない。 電子書籍は直線的に読みすすめるのに適しているが、 探偵小説は前の記述を参照しながら行きつ戻りつして読むものだ。 その読み方を忘れたせいかと考えた。 そればかりではないようだ。 題材的にひどく混乱した小説なのだ。 そこに起因する不快感を 「はいはい、 ハードボイルドハードボイルド」 とでもいいたげな、 おざなりな道具立てが隠蔽する。 この手の物語において探偵がアルコールや薬物の依存症であるのは珍しくない。 それをそっくりそのまま性依存症に置き換えて、 なおかつそのことを明示していない。 アル中の探偵がしばしば酒でしくじって失職した元警官であるように、 この小説の主人公は性暴力で失職した元警官である。 彼は無実の罪 (訳者あとがきでは 「ハニートラップ」 なる単語が二度も用いられる。 2019年の本とは思えない) と主張するが警官が容疑者、 しかも初対面の女の家へ職務中に上がり込み、 見逃す代償として性行為 (しかも相手の髪を掴んで) をなせば、 同意を得ようが得まいが潔白といえないのは自明の理である。 小説の評価において共感は必ずしも重要でないとはいえ、 人間として最低限、 共有する要素がなければ読みすすめるのは困難だ。 しかも意地の悪いことに、 いかにも伝統的な探偵小説らしく一人称が採用されており、 すべては性暴力の犯罪歴をもつ男の視点から語られるのである。 得体の知れぬ不快感は読みすすめるにつれ裏付けられる。 登場する女性はほぼ例外なく性的な評価に基づいて描写され、 ひさしぶりに会った知人ならだれでもするような会話までもが、 性的なほのめかしを含むやりとりとして語られる。 妄想症の患者に世界はこのように見えているとでもいわんばかりだ。 性的な視線は実の娘や祖母にまで向けられる。 最初は無自覚に書かれたのかと考え、 太平洋戦争の時代に日系人がどのように扱われたかに自然に言及するような作家が⋯⋯と衝撃を受けた。 ハリー・ポッターの著者が性差別主義者であったことを連想しさえした。 しかしモズリイともあろう作家が#MeTooやTime’s Upを経た時代に何も考えずにこのような書き方をするはずがない。 いびつな視点は計算尽くで構築されたように感じた。 その書き方を踏まえてのエドガー賞であればよいのだが。 しかし退屈な読書だったという事実の前ではそんなことは何の意味も持たない。 二十年も待たされたのに。 失望した。
