きのう51歳になった。 惨めな老人だ。 もっとも古い記憶は産道へ押し出される恐怖。 あれから半世紀以上も経った。 不安は的中し何もいいことがなかった。 欠陥遺伝子をもって生まれ、 支離滅裂な虐待をされて育てば、 両親同様の異常者にしかなり得ない。 ハイジャックや自爆テロを世界に教え広めた団塊世代はどれだけ支離滅裂な異常者でもまかり通り、 病識のないまま生涯を終える。 おれの人生はそのためのダシにされた。 80年代以降はだれもが 「普通」 でなければならなかった。 少しでも規格から外れたら性犯罪者も同然に扱われる。 事実あんな遺伝子を片親からでも受け継げば、 あんな支離滅裂な悪意に満ちた環境で育てば、 そのどれかひとつの因子でも持ち合わせていれば、 ただ生きているだけで社会を脅かす犯罪となる。 思えば中学校の先生方は心あるひとたちだった。 親が死んだあとの人生のほうが長い、 よく考えろと進路指導で諭された。 考えたところでどうなるものでもない。 部活や進路や恋愛で悩める他人が羨ましく惨めだった。 自分の人生だとも先生方はいった。 それが事実ならどれだけよかったか。 奪われた人生を取り戻す
あと数年は生きることになるだろう。 緑内障やら歯周病やら、 あちこち不調はあるが病気らしい病気はしたことがない。 数年前に再発して一時は全身を血まみれにしたアトピーは剃刀を浴室に置くのをやめて刃をこまめに交換し、 タオルを数ヶ月ごとに新調して200g 1,628円の乳液を塗りたくるようにしたら治りつつある。 緑内障は数年前の診断から放置しているが歯周病は三種類のブラシとフロスと殺菌剤入りの練り歯磨きでおそらく改善された。 筋トレは毎日つづけているし休日には種目を増やしている。 考えてみれば高校で腹筋と腕立て伏せを習ってから、 数年ほど怠けた期間が何度かありながらも概ね生涯の習慣となっている。 十数年前にプッシュアップバーとダンベルを買ってからは日課の種目も増えた (いまはダンベルをプッシュアップバー代わりにしている)。 貢ぎ物の果実酒を盗み飲んだ14歳から36年間の習慣だった飲酒は昨年末でやめた。 今年に入ってから一滴も飲んでいないし今後も死ぬまで飲むつもりはない。 数年間だけ試した喫煙は脳の社会性改善に寄与したが酒のほうは未発達な神経細胞をただ殺すだけだった。
ダグラス・アダムズの警句について読んだ。 80年代に新潮文庫から出ていたヒッピー小説はモンティ・パイソンを知らぬおれにはまるでつまらなかった。 ソーシャルメディアで話題にしている連中だってほんとうに読んでいるとは思えない。 35歳だったのは震災の前年。 テック企業と政治家に富をもたらすアルゴリズムにはすでに適応できていなかった。 気の利いた警句がいかにバズろうがおれが社会の変化に適応できぬのは老化のせいではない。 もし仮に不変であったとしても適応などできない。 絶対に適応できなくなるよう特殊な教育を受けたからだ。 比喩でも皮肉でも誇張でもない。 旧帝大の院で発達心理を学んだ両親によって実際にそのような明確な意図でもって教育された。 その甲斐あってだれもがただ
誕生祝いであるかのようにv4.6.0が来た。 あちこち書き換えているおかげでエラーの解消に手間取った。 配色設定の場所や方法が変わって難儀した。 アルゴリズムに調教された 「普通」 人のための機能がいくつか追加され、 右ペインの目次に 「コレクション」 なる項目が増えてチビ太のおでんのような醜いアイコンが表示された。 そいつを骨に替えて 「フォロー中のハッシュタグ」 を餌に、 「非公開の返信」 を犬の横顔にした。 おれしか知り得ぬものを弄ったところで自己満足でしかない。 ウェブサイトや出版やこの文章とおなじだ。 ヘンリー・ダーガーもそうだったにちがいない。 あいつも世間に蔑まれる醜い異常者の老人だった。 おれほど醜くはなかったろうしおれよりはまともだったろうが。 だから家主の画商を儲けさせることができた。 おれにはそんな死後すらない。 誕生日には数日間の有休をとることにしている。 二年前には小説を書きはじめ去年は佳境だった。 今年は次の準備といいつつ何もしていない。 読むことすらろくにできていない。 学のある裕福な知識人がソイラテ飲みながら書いたようなリチャード・パワーズの小説はまるで入り込めず三分の一で止まったまま。 九月には書きはじめたい。 きょうは押入を整理して商品を保管する場所をつくった。 来月には 『Cloud9』 の落選が確定する。 おれの筆名が印刷されていない雑誌が出まわり次第、 出版して通販を再開するつもりだ。 そのためには改稿せねばなるまいが当分は振り返りたくない。 すでに遠い過去のように色褪せた。 一年九ヶ月も1960年代にいて
