この小説のいいところは短さだ。 わずか二百数十ページの中編であっさり読める。 不満なのは薄さだ。 分量よりも味つけの。 あっさりしすぎて読んだ甲斐がない。 鬱で小説を読む力が衰えていてもウェストレイクのどたばた喜劇なら読めるだろうと手にとった。 狙いは当たって一日で読み終えた。 具も味も養分もない、 白湯みたいな無色透明の液体をスープですといって出されたようなものだ。 巻末に付された解説によれば、 初期のノワールからかれの登録商標みたいな喜劇への、 作風の転換期に当たる代物らしい。 いわれてみればなるほどそんな印象。 プロットはよくある犯罪ものでそこそこおもしろい。 かれお得意のひねった文体も、 いつものギャグ満載とまではいかないまでも、 まぁ笑える。 しかしあっさり薄味すぎてつまらなかったのは、 のちの作品のような活き活きとした個性が登場人物に感じられないのと、 文体やプロットの巧みさが小手先の技量に留まって、 そこから先どこへも広がらないからだ。 おもしろさには二種類あって、 技術としてのおもしろさと味わいとしてのおもしろさ。 後者のおもしろさは前者がだめでも成立しうるが、 前者はいくら巧みでも単体では意味をなさない⋯⋯というか、 おれにとってはつまらない。 何かのための手段として用いられなければ、 後者のおもしろさにつながらない。 片方だけでも成立するし、 商売としては前者だけで充分、 むしろ後者がないほうが好まれもするし、 昨今の日本の出版状況では、 前者ですらも読む技量を要求されるとして厭われ、 どちらの意味でもつまらないものこそが、 ソーシャルで消費されやすい 「なじみ感」 をそなえた商品として、 「わかりやすい」 と喜ばれたりするのだが⋯⋯しかしおれはもう47歳、 残りわずかな人生で、 そんなものに時間も労力も使いたくない。 ノワールとしても喜劇としても中途半端で、 読んで損をしたとまではいわないが、 文体に似たところがある分だけ、 わが敬愛する作家イシュマエル・ノヴォークの劣化した紛い物を読まされたかのような、 残念な気持が拭えなかった。
