オースターには物語性に富む 「いいほう」 とひたすら鬱々と内向して物語に一切起伏のない 「悪いほう」 があり、 おおむね交互に書いているかに以前は思っていたけれど、 ある時期から双方が融合されたように感じる。 本作がその好例で、 両方のいいとこどりだ。 それぞれの問題を抱えた孤独なひとびとが 「通り過ぎる場所」 としてのシェアハウス (打ち棄てられた家の不法占拠) で生活する話で、 拙作 『ぼっちの帝国』 との共通点を思わざるを得なかった。 拙作では徹頭徹尾、 てんでばらばらな個の寄り集まりが、 疑似家族としての理想郷を築こうとするも、 「世間」 の悪意によってその夢を奪われる。 本作ではどこまでも孤独なひとりひとりが、 他人とは分かち合いようもない人生を生きながらも (ここまでは拙作と同じなのだが)、 いつかは 「世間」 によって奪われる仮初めの場所/時間に助けられ、 互いに支え合いながら現在に立ち向かおうとする姿が描かれる。 そしてそこには生が次の世代へ受け継がれることへの圧倒的な信頼が感じ取れる。 結末に破綻が描かれながらも 『偶然の音楽』 のような絶望が感じられないのはそのためだ。 互いを思うがゆえにうまくいかなかったり、 互いの孤独を尊重することと利用し合うことが矛盾せずに同居したり、 愛し合うことが社会的な罪であったり。 わかるし、 わたしにはない。 正常でない両親と発達障害とをもつわたしはだれともまっとうな信頼関係を築けたためしがない。 唯一の例外が毎月末に飲む友人なのだが、 昨今の状況のおかげで先月はその会合すらかなわなかった。 本作に描かれるひととひととの関係性は、 だから、 痛みを伴って切実に理解できるとともに、 わたしには縁のないものでもあった。 次世代への信頼と、 暗い時代を描いているというふたつの点で、 ピンチョン 『ブリーディング・エッジ』 とも呼応するものを感じた。 『冬の日誌』 と並ぶオースターの最高傑作のひとつだと思う。
