あなた自身であるために

BuddyPressの扱いにまだ悩んでいる要は読者の側に立って読まれるべきたくさんの本を見せるか杜昌彦の直截な販促としてこの文章を書いている著者を見せるか後者を採るのであればトップページをプロフィールとしそこからアクティヴィティを見せるなり記事一覧を見せるなりすればいいその線で進めるなら本の紹介や著者一覧といった概念はそぐわない単体ユーザで運用するかぎりはシンプルに杜昌彦の思考と成果物だけを提示するサイトとなるしかしもし仮に人格OverDriveの最終目的が杜昌彦の販促であったとしても実際にはそれだけのつもりは決してないのだが)、 そのエコシステムに頼らざるを得ないストアの客層が極めて悪いというよりも極小出版を可能にしたインターネットそのものが読書と相性が悪くその問題をまず先に改善しなければ望ましい読まれ方をされないこれまでくりかえし述べてきたように読書とは対極のニーズに基づいてそのひと自身であることを排除し淘汰するのが現在のソーシャルなインターネットであるそれは刹那的であり中央集権でありひとりひとりの事情を侮り軽んじるものであり先例と決めつけによる型紙に基づいた消費である批評家気どりと批評家の違いは読む能力にある現代のソーシャルなインターネットでは最低限の能力さえ持たぬほうがむしろ有利に立ちまわれる。 「わかりやすいからだソーシャルなプロトコルで正当と認められれば二次加害者が群がり数が正当性を強化するそのようにして個々の事情すなわち本を本たらしめているものは排除され淘汰されるそうした同調圧力に抗うのが出版であり読書であるそのための試みとして人格OverDriveを捉えるならば杜昌彦の活動フィード提示を主体としたUIは排除せねばならない2017年にサイトを再構築した際読者と書き手単体のどちらに立つかで前者を選んだにもかかわらずUIに迷いがあったので批評家気どりの無能に粘着されたさまざまな読書の文脈がありその網の目の結節点として本があるそのひとつとして自著があり書いた人物としてあるいは質の担保ブランドとしての杜昌彦があるそうした網の目を担保する見せ方あるいはブランドが人格OverDriveであるそのための適切なUIを確立したいさしあたりBuddyPressのコードは取り除くつもりだその上で可能であればサブスクライブを導入するのも手かもしれない