出版の民主化とソーシャルブランドとキャラ

昨夜はパッケージ化された言葉すなわち著書の集積が作家だと書いたもちろん断片的な言葉の集積が作家であっても構わないいずれにせよ集積がそれぞれをあるいはそれぞれが集積のありようを担保する作家が言葉を書くのではない書かれた言葉が作家をかたちづくる実体はひとにではなく書かれた言葉にあるそしてその言葉はそれ自体に依って立つ他者との関係性に依存しない個あるいは孤に属しているそのような営みすなわちブランドの提示を人格OverDriveでは将来的に意図している一方ソーシャルにおける言葉は他者との関係性で有利に立ちまわるための刹那的な消費財であるそこではキャラで物事が理解されあるいは断罪されるキャラとブランドは互いに相容れない概念だが混同されやすいブランドはキャラの文脈に落とし込まれることでたやすく貶められる実際には器からはみ出るのだがはたからはそのように理解される佐野元春がいかなる主張をしようがソーシャルメディアではただ後をつけてきた男が仲間や兄弟や見知らぬ親戚や可愛い犬についてすべてわかっていることにされ正当な放課後の教師や友だちや判事や天使として扱われるソーシャルメディアでのサイズ感においてはそのような理解がわかりやすいからだそしてそのサイズ感でのわかりやすさがソーシャルメディアでは正義なのだ大手企業による出版はいまやそのような論理に従属せざるを得ないしかしソーシャルメディアと相性のよい巨大モールが読書端末にどう命名しようと原稿は燃えないepubやプリントオンデマンドは出版に本来のありようを取り戻す手立てをもたらした中央集権よりも地方を国家や組織よりも個人を数や刹那的な消費よりもひとつを長く味わうことを押しつけよりも自由意志を希求するそれが言葉を公にする出版することの意義だその意義を裏切らないブランドを提示したいキャラとして安易に消費されようがないパッケージ化された言葉の集積を