この天才たちはいままでどこに、 なぜ隠れていたのだろう。 諸屋さんはすでに編集室水平線さんに見出されて 『コロナ in ストーリーズ』 を連載していたし、 若林さんは単にこれまで小説を書いていなかっただけだろうけれど、 イシュマエル氏がなぜインディで活動しているのかよくわからないし、 うへ氏に至っては自分の才能をあまり理解していなかったのではないかとさえ思われる。 人格OverDriveは正直、 注目を浴びる場とはいいがたい。 広く読まれるべき才能がこんなニッチでローカルな場所で埋もれている。 大手文芸出版社は何やってんだよ、 自転車操業の手形を濫発するだけがあなたたちの仕事なの、 などとつい辛辣に考えてしまう。 事情はわからなくもない。 一流企業社員には前例からの逸脱が許されず、 テンプレに収まる無難な商品しか扱えない。 翻訳小説なら海外での実績で会議を通す見込みもあろうが、 最初から日本語で書かれた原稿はソーシャルメディアでの数字くらいしか根拠を示せない。 ところが読書の本質は個や内省にある。 異なる視点を提示し世界を広げるものだ。 ソーシャルメディアのアルゴリズムはそれとは真逆で、 繋がりのもとにだれもが同じであることを強要する。 均一な世界につながることこそが正義とされ、 異なる視点は厭われる。 無害で見慣れていて理解しやすいものがそこでの消費に適している。 無難なつまらなさが取り柄であるがゆえに、 最適化された才能はほかのどれとも区別がつかない。 逆に本物であればあるほど不可視になり淘汰される。 そもそもソーシャルメディアですでに成功していればわざわざ出版社を通すまでもなく個人でマネタイズできる。 大企業の機能不全には同情するが読者としては付き合う義理はない。 本物の小説にありつけなくなる。 ありつくために
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連載 第272回
