確かに痛快でもユーモアでもあるけれども、 脳天気な巻末解説のいうように 「ほがらか」 では決してない。 獅子文六の明るさは人生の苦みを踏まえた強さ、 したたかさなのであって、 むしろときとして思い詰めた鬱といっていいくらいだ。 この小説は開戦前夜のふつうのひとびとの暮らしを描いていて、 登場人物はこのあと無事ではいられないかもしれないことを、 現代のわたしたちは知っている。 そして物語もまたそのことを暗示して終わる。 初出こそ戦前だけれども筑摩文庫版が底本としたのは69年、 学生運動はなやかなりし時代の全集であるから、 当然なんらかの手は加えられただろう。 すくなくとも同全集を底本とした 『悦ちゃん』 では加筆されたとおぼしき文章が散見された。 家庭内のもめごとが解決してめでたしめでたし、 などという 「ほがらか」 な空気は微塵もなく、 破滅の近づきを予感させつつ物語はクライマックスを迎える。 連載時すでに備えていた色合いなのか、 四半世紀後に後知恵でなされた加筆修正なのかはわからない。 いずれにせよ家庭内の小さな出来事が世相の大きな動きとつながる視点は、 この 「痛快ユーモア」 小説の空恐ろしいところだと思う。
