書いているときに他人の本を読むのは、 エンストしたポンコツをどうにか動かそうと悪戦苦闘するとき、 高級スポーツカーが颯爽と通り過ぎるのを眺めるようなものだとある作家がいった。 まさにそのような理由でこの本は読み終えるのに時間がかかった。 いい本だった、 しかし本来は何も考えずに一気読みすべき本なのだろう。 だらだらと読んだせいかどうも心から感動できなかった。 だれからも愛された経験がないので恋愛を扱った物語は共感しかねた。 愛されないのはなんの能力もないからで、 この本の登場人物たちは愛し合う。 容姿を含めた社会的能力が高いからだ。 孤独な人物はあまり登場しない。 登場してもその孤独は無条件で解消されるか、 あるいはよくわからない描かれかたをする。 たとえば題名にもなっている日本人の恋びとだ。 当人にとっては意味不明であっただろう激烈なふられかたをするにもかかわらず、 おそらくあったに違いないその孤独がなんだかごまかされている。 金持の白人の都合のいいファンタジーとして間接的に描かれるのみだ。 ふる側は金持の白人で、 ふられる (あるいはふりまわされる) 側は敗戦国にルーツをもつ被差別階級だ。 「日本人の恋びと」 の人間性は亡霊のようにつかみどころがないまま結末を迎える。 ミステリアスないけめんだったんだろうなという印象しか残らない。 謎が解かれたあともなんとなく腑に落ちない感じが残る。 きっと日本人であることは美しい白人の奥様にとって、 人生が意味のあるものであったかに信じるための甘いファンタジーに、 エキゾチックな風味を添える効果があったのだろう。 新興宗教のエピソードになんの必然性もないかに思われるのもエキゾチックな道具立てにすぎなかったからだ。 そうしたすべては別に瑕疵でも何でもない、 むしろきっといいことなのだと思う。 想い出とはそういうものだし、 そういうものを拠り所として生きるのが素敵な人生なのだ。 そうしたものから完全に疎外された人間にとっては虚しく想像するしかない。 個人的にはせめて小説では恋愛でも加齢でも、 そして人生でももう少し何かしっかりした実感を得たいものだけれど、 愛されない人間にはつかみどころのない幻でも、 愛された人間にはその経験を通じて感じられる生々しい重みが、 きっとこの本にはあるのではないか。 あるいは愛されるひとはそうでない人間と違って、 美しく老いるのかもしれない。
