言論の自由を奪うためならいまの政治家はなんでもする。 中小出版社を潰して取次を潤わせる政策にしてもそうだけれど、 もうこの国で企業の出版物にまともな読書は期待できまい。 なるほどわたしが 『KISSの法則』 を書いた当時の政権は公約を守ったわけだ。 所属政党にまだあったかもしれない最低限の倫理を 「ぶっ壊」 し、 自己責任と称して弱者に痛みを押しつけ、 格差を拡大する。 当たり前の人権を 「行きすぎた個人主義」 と称して 「是正」 する。 これらは当時、 実際にそのような言葉で語られたことで、 なんで痛みを押しつけられる側が拍手喝采したのか理解できず、 そのことに腹を立ててあの小説を書いた。 インターネットにしてもソーシャルメディアにしてもAmazonにしても、 あるいは出版社にしても、 企業が見せたいものを見せられているにすぎず、 そして彼らの見せたいものとは権力をもつひとたちにとって都合のいいものであって、 それは読書の観点からはつまらないものでしかありえない。 商売であればそんな表示にすり寄って媚びなければいけないが、 ざまをみろ、 人格OverDriveはおもしろいものだけを出版することができる。 「売れなければシステムを疑うべきかもしれないけれど、 システムの枠内で暮らしているからには適応するしかない」 といった意味のことを山崎ナオコーラさんがおっしゃっていて、 でもわたしは幸いにしてほかに生計手段があるので企業に××××を握られてはいない。 ただ現状D.I.Y.のサミズダートはAmazonPODとKDPに頼るしかないのも事実だ。 最悪でも電子版はWordPressでepubを配布、 で行けるがPODはどうにもならない。 なんだかんだAmazonがいちばん安くて汎用性があり使わざるを得ない。 twitterの人権侵害報告などでもそうだけれどあの手の企業は評価経済第一なので、 たとえばいやがらせレビューへの対応も、 味方が大勢いる人気アカウントに対してであればそれなりに動くが、 わたしのような無名人は無視される。 加担や助長こそしても救済は決してしない。 加害者はそれを知っているので無名人に対してはやりたい放題だ。 評価経済システムを利用した暴力を逃れるためには人目につかぬようにするしかなく、 人目につかぬ無名人はますます攻撃の対象となり、 そうした 「淘汰」 を企業はむしろ積極的に助ける。 やれるのはせめてよくない客筋に近づかぬことくらいだ。 素人のゴミに関連づけられるのは迷惑でしかない。 『本の網』 は関連付けを改善する試行錯誤のひとつだけれど、 しかし自分以外の力をコントロールする方法など結局はありえない。 いずれはAmazonとは関わりを断って自力で販路を見出さねばならないのだろう。 まだずっと先の話だ。 はてなやtwitterといったソーシャルメディアで多くの信者を集めるアカウントがAmazonやnoteでその人気を換金する、 その仕組みをわたしは評価経済の換金装置、 と十年ほど前から呼んでいて、 でもそうしたマッチポンプ的な循環がいつまでもつづくとは思っていない。 個人商店を潰したトイザらスやタワーレコードがどうなったか考えてみたまえ。 Amazonもたぶん十五年か、 保っても二十年以内には凋落するだろう。 出版について最近もうひとつ気になっているのは印刷業者がセルフパブリッシングを、 自費出版を小洒落たように見せかけるためのカタカナ語として使い出したことだ。 疫病でコミケが潰れて稼ぎ口がなくなった一方、 ZINEやリトルプレスでは手製本のコピー誌のような粗末なものしか期待できず、 金にならないから元年 (2010年) 以降、 とりわけ黒船来航 (2012年) 以降に広まったその用語に、 目をつけて乗っかることにしたのだろう。 確かに自費出版を英語でいったにすぎないので、 何もまちがいではないのだけれど、 そんなことになってしまってはますますその用語は使いにくくなった。 一緒に、 されたくない。 D.I.Y.のサミズダートなる珍妙な語を多用するのはそうした状況が理由だ。 でそのサミズダートについてだけれど、 柳楽先生はどういう意図か記事ではなくサイトのURLを共有された。 結果、 20アクセスのロスが発生。 うち8アクセスが柳楽先生のプロフィールや記事一覧まで閲覧した。 記事の閲覧にまで至ったのはフォロワーのほぼ十分の一。 ほぼ同数のアカウントがいいねやリツイートのアクションを実行。 フォロワーの十分の一はファンだって説、 そこそこ説得力あるようだ。 「編集者」 としての次のアクションは、 クラウドファンディングで版権料を払って翻訳を個人出版した事例が海外にあるか、 日本でやるのに何か助言をいただけないか、 藤井太洋さんに訊いてみることかな⋯⋯と夢想したりもしたけれど、 最後にお世話になったのは 『悪魔とドライヴ』 のとき、 もう五年も前のことで、 いまではまるで接点がないので厚かましいと思ってやめた。
