作家にプライバシーなんてないんだ。 観客を意識しなければおれたちは書けない。 中学時代の日記を公開されたっておれたちには痛くも痒くもない。 そうされるつもりで書いたからだ。 不特定多数の視線を前提にせずにはいられない。 けっしてだれにも読まれないのがわかりきっていてさえな。 そういう変態なんだよ。 おれたちはどこにもいない。 読まれることではじめて存在し得るんだ、 読んだやつの心のうちに。 百万人が読めば百万のおれたちが生きつづける。 webとepubがおれたちの言葉を世界に遍在させる。 おれたちは生まれつきそういう不具の人種なんだ。 望もうと望むまいと。
観客にどう読まれるかを畏れてるんだろう。 制御しようとしても無駄だ。 誤解された百万の言葉こそがおれたちだから。 作家は己の言葉に責任が持てないことに責任を負わねばならない。 おれやあんたの言葉はいつかひとを殺す。 絶望から自殺するやつもいれば通りに出て刃物をふりまわすやつもいるだろう。 知ったことか。 だれも傷つけない言葉になんの価値がある? 歴史上もっとも読まれた偉大な本がどれだけの死者を出したと思ってる? そして同時にそれらの言葉は救われなかったはずの魂を数かぎりなく救ってきたんだ。
おれやあんたの言葉がなければ生きられなかった人間が世界のどこかにいる。 いや事実としてはおれの本は、 これまでも今後もだれにも読まれない。 だがおれたちはそれだけの質量を持つ言葉を書いているし、 そのようであらねばならないし、 そのようにしか生きられないんだ。 ローカル環境にインストールしたWPで書いてるって? そんなもんあんたが死んだら晒されるに決まってるだろう。 心の奥底ではそれを望んでるんだ。 否定しても無駄だぜ。 そこに書いてる事実を公表する時点で変態なんだ。 おれたちは観客を意識してるんだよ。 そこからは逃れられない。 それは呪いなんだ。 乗り合わせた車両で林檎を剥いたり鳥や蠍の話をしたりした相手はみんなどこかの駅で降りていく。 おれやあんただけは降りられない。 だれともどこへも行けやしない。 緑色の切符がおれたちを本に縛りつける。 どこまでもひとりで見届けるしかない。 それが書くってことだ。
