三月の 『☆』 にひきつづき今月は二冊を手がけ、 さらに二冊が発売を待っている。 一冊につき一万の出費。 長くつづけるためには金にしなくてはいけない。 方向性はふたつしかない。 ひとつは著者から手数料をとることで、 これはやりたくない。 いわゆる虚栄出版そのもので詐欺に至る道だからだ。 なぜ書くという労働をして金を払わなければならないのか。 収益の一部をさっぴくのもだめだ。 ただでさえ高いPODにおれの取り分を上乗せする余地はないし、 のちのち著者とトラブルになるのが明らかだ。 もうひとつの方向は広告収入。 伊藤さんに今回やってもらった (頼んではいない) みたいにURLにうちのアフィリエイトコードをつけてもらう。 でもこれは著者の厚意に頼るほかなく強制力はない。 何をどうツイートするかなんてひとの自由だし、 こうしてくれと頼む権利はない。 やはりPODの価格がネックで、 コンビニの複合プリンタがエスプレッソブックマシンの機能を備えるくらいの変化がなければどうにもならない。 次にあらたな読者を獲得する方法だけれどこれはソーシャルメディア上の著者の自己宣伝能力に頼るほかない。 かつてFacebook、 Google、 Amazon、 Twitterにずいぶん金を注ぎ込んだ。 「やらないよりはまし」 程度の効果しかなかった。 インターネットと読書は本質的に相性が悪い。 広告に反応する客はおおむね筋が悪く、 低評価レビューが増えるだけの結果に終わりがち。 筋のいい客は見知らぬ本の広告になど反応しない。 すでに評価の定まった高名な作家や大手出版社のブランド名にしか反応しない。 ソーシャルメディアでの反応にしてもそうだけれど、 結局はあらかじめ知られていることが広告においてさえ重要になる。 広告で初めて知ってもらう、 なんて少なくとも出版ではあり得ない。 「なじみ感」 を制さなければどうにもならない。 そのためには高評価レビューをAmazonなり個人ブログなりソーシャルメディアなりに書いてもらうしかない。 ここで堂々巡りになる。 無名の本になどだれも関心をもたない。 だれも関心をもたない本はその時点でだれにも相手にされないし、 むりに関心をひいたところで低評価を強めるだけの結果となる。 現代ではひとは他人にどう見られるかのためだけに本を読む。 おれには大手出版社の本はどれも判で押したような、 心を動かさない本に思える。 そうなるのも 「あらかじめ知られていてなじみ感があるもの」 でなければ投下資本が回収できないからだ。 注ぎ込む金がでかいから確実に取り戻す保証がなければならない。 ほかのどの本とも同じでなければ会議を通らない。 おれは貧乏人が血を吐きながらどうにか賄える程度の金しか注ぎ込んでいないし、 はなから回収をあきらめているから、 独自の個性をもつ本を出版できる。 そうでなければおれが出版する意味がない。 しかしこのやり方では長くつづけられない。 本業もいつ馘になるかわからない。 であればどうにかして 「なじみ感」 を獲得するしかない。 そのためには高評価レビューをソーシャルメディアなり個人ブログなり商品ページなりで共有してもらうしかなく、 そのためにはまずレビューの書き手になじみ感をもってもらわなければならない。 具体的には名刺配りなり挨拶回りなりの泥臭い営業だ。 同人誌即売会や懸賞付きコンテストがどうやらその世界であるらしく、 伊藤さんの人気もそのあたりにあるようだ。 それはまさに演歌歌手の価値観と同じだ。 落ち目だった大物演歌歌手が、 同人誌即売会で自分を知らない若者たちに、 名刺配りや挨拶回りを丹念にやって話題にしてもらい、 大人気に返り咲いたという話もある。 じつのところ海外でKindleの自主出版から大ベストセラー作家にのぼりつめた作家はどれもこのやり方をしている。 ソーシャルメディアで時間をかけて大勢に挨拶し、 自サイトのサブスクライブへ誘導し、 メール集客をする。 小説を書くことには重要性がない。 時間も労力もほぼ挨拶回りに注ぎ込むのだそうだ。 おれがだめなのはそのあたりにある、 というのはわかるのだが、 じゃあ名刺配りや挨拶回りをがんばろう、 とは思えない。 そんな器用な真似ができたら小説になど関心をもたない。 社会的能力に欠陥があるから小説を書き、 自力で出版しているのだ。
