朝日新聞にtwitterの話題に便乗する浅ましい記事が出た。 品出しをする書店員が棚越しに母子の会話を聞いたという。 「ネットだと自分が興味のあるものしか見ないけど (中略) 思いもよらなかったものに 『なにこれ、 おもしろそう』 ってなるでしょ。 だから本屋さんに来て実際に棚を見るのがいいのよ」 こんな低次元の記事に月額料金を支払わされているのかとがっかりした。 たしかに棚づくりは読書の文脈の編集であって、 そこでの思いがけない出逢いを期待して客は書店を訪れる。 しかしそれはAmazonの関連づけ表示にしても同じことだし、 逆にリアル書店がどれだけ独自の視点で棚をつくっているというのか。 取次が押しつけてくる商品をただ版元別、 カテゴリ別、 五十音順に並べているだけではないか。 そこにあるのは読書の文脈でも書店員の人生を映す視点でもなく商売の都合だけだ。 それをギャディス 『J R』 の小学生よろしくアルゴリズムで極限まで効率化したのがAmazonのランキングや関連づけであるにすぎない。 紙の本の香りがそんなに好きなら再現した香水が売られている。 そんな時代錯誤の屁理屈がどれだけ電子書店のアルゴリズムを汚染したと思っているのか。 権利者との契約の整備に足踏みしているうちに読書の文脈は淘汰され、 今後いっさい入り込む余地がないほどになって本の香りどころか、 偏見や小児性愛や性差別を拠り所とする金の悪臭しかしないありさまだ。 インターネットではソーシャルメディアにせよ書店にせよ、 客の好みを排除して商売に都合のいいものだけを選ばせる意図があまりにも鼻につく。 たとえばかつてフォローしたバンドの新作を毎週金曜に表示してくれたSpotifyはいまや押しつけがましいサジェストのみ。 何が 「あなたの好みを知ろう」 だ。 なんで自分の好みを企業に教わらねばならないのだ。 客は企業に見せられたものを全世界と信じる。 表示機会を抑制されたら存在しないも同然だ。 フィルター・バブルを生成するのは企業であって個人の嗜好はいっさい顧みられない。 独自の好みや考え方といった主体性は許されず、 個人がどうあるべきかは企業が決める。 これがファシズムでなくて何だろう。 その事実をなぜだれも問題視しないのか。 企業に与えられた夢をずっと見て安心してたいのか。 ソーシャルから排除され淘汰されるのが怖ろしいのか腰抜けども。 おれはご免だね。 錯覚でもいいから人生を自力でコントロールできている実感を得たい。 押しつけられたものは見たくない。 見たいものだけを見ていたい。 三年分のサーバ代の請求がきて、 この生き方に金を投じている事実を思い出した。 四万も支払ってこんな駄文を書いている。 オール・トゥモロウズ・パーティーズに垂れ流すだけにも月に七百円かけている。 見たい世界を見るためだけに金も労力も惜しまない。 WEBの組版にしてもそうだ。 文章を見たいように表示するために試行錯誤している。 FONTPLUSが連続した約物のアキをOpenType機能のchwsとvchwで調節する機能に対応したそうだ。 日本語の長文をWEBフォントのみで読ませるのはいい考えに思えない。 表示速度が遅くなるからだ。 chwsとvchwでアキを調節するのは同じでも約味フォントで約物だけ置き換えるのが現実的な対応だろう。 しかし人格OverDriveではあえて使っていない。 試して満足のいく成果は得られたが結局は別のやり方を選んだ。 PHPで約物を置換して半角空白を足し、 約物はhaltで半角に、 空白はword-spacingで50%にして、 連続した空白や行頭行末の空白が無効になるのを利用してそれらしく見せている。 spanで囲うことの副次的な効用として書き出しに鉤括弧が来てもdropcapがひと文字で表示される。 問題点はふたつある。 word-spacingに%なんて指定は存在しない、 とW3Cのvalidatorに怒られるし余計な半角空白が挿入されるのでテキストをコピーするとおかしなことになる。 コピペの都合や文書構造の観点からは約味にすべきなのだが現状のやり方は自力でひねり出したので愛着があるし凝った効果を実現できている。 調べたかぎりではよく似た手法のプラグインがあったが複雑でかつ無理のあるやり方だった。 自力で考案した手法のほうがまだしも単純でむりがない。 迷うが、 これでいいことにした。 イシュマエル氏の連載を書籍化するにあたりいずれ宣伝が必要になるだろうからtwitterアカウントを開設した。 Safariの拡張機能を使って自分のツイートしか見えないようにした。 今後余力があればツールに月額料金を支払って機械的にフォロワーを増やす努力をするかもしれない。 いまはまだその気力がない。
