商業作家になるために手当たり次第、 やみくもに読んでいた。 四半世紀前の話だ。 質よりも量の性急な読書。 ヴォネガットは全長編をその時期にまとめて読んだ。 深く心に残った数作のうち、 もっとも優れていると思ったのがこの本だ。 ところが心と記憶は異なるようで後者には何ひとつ残っていない。 ヴォネガットの小説はリアリズムではないと思っていた。 出来事も登場人物も戯画的でつくりごとめいていると。 技法的な意匠としてはたしかにそうかもしれない。 でも主人公とおなじ年齢になったいま読みかえしてみると、 またしてもあの若造、 ちっとも読めちゃいなかったと痛いほど思い知らされた。 抜かれる電球。 奴隷労働が与えられないことが罰となること。 差別や裏切りと友情の両立。 調子のはずれた会話や空を見上げられる部屋。 ある時代ある場所で当たり前だった暮らしが大罪となり、 寄ってたかって断罪する側が拠って立つ正義もまた数と時勢でしかない。 ささいな描写のすべての積み重ねが、 いまウクライナでパレスチナで、 日常生活やソーシャルメディアで起きていることそのままだ。 一文一文が矛盾に血を流していて、 読みすすめるのがつらくなる。 さらに意外だったのはそうした身を刻むような生々しい実感が、 スパイ小説の形式に忠実にのっとって書かれていたことで、 そんなことにすら気づけなかったおれはやはり何にもなれなくて当然だったといわざるをえない。 ハイホー。
